例えば大きなプロジェクトがとりあえずの区切りを迎えたとする。

普段から文章を書く事に慣れている人は別なんだろうけど、普段あまり文章を書くこともなく、書く必要も無い人が、たとえばブログの記事なんかを書くときには突発的なエネルギーが必要になると思う。

嬉しい気持ちだったり、自慢したかったり、みんなに教えてあげたかったり、悩みだったり、何かに怒った事を表現したかったり。

自分は過去の気持ちだったり、過去に何をしていたか後から見る事が面白い事だと思っている人なので、精神的な変化だったり、変わった出来事があれば残しておこうと努力はしているつもりではある。
見ず知らずの人と知り合える事は副作用的なところかな。
あと忘れても良いようにってのは結構デカいメリットだと思ってる。

今回、この文章を書こうと思い立った理由としては、将来の不安からだ。



例えば大きなプロジェクトがとりあえずの区切りを迎えたとする。
そうすると、自分が何をしてきたかということを深く考えてしまって、後悔をする。
「前回と同じ事をしている」この不安感はマジでやばい。死にたくなってくる。
人は歳を取っていくので常になんらかの経験を積み上げてきているので「前と同じ」と言う事は全体から見て下がっているということと同義なんだ。
少しは綺麗なコードを書けるようにはなってきてはいるのだが、だからどうしたという印象。
汚いよりは綺麗な方がいいに決まってはいるが、そうではなくて、綺麗なものなんてすぐに汚れてしまうものなので、汚くても大丈夫な環境にしておくのが重要なんだ。
今回の大きなプロジェクトは汚くても大丈夫な環境ではないので、すぐに汚くなる事が目に見えている。綺麗な事はそんなに重要ではない。
わかっているのにそれが出来なかった。

何か知識が増えたのかも知れない、自分が気づいていないだけで何か問題に当たった時に「あのときの知識が役に立った!」という物があるかも知れない。
しかし、「あるかも知れない」なんだ。
次のための知識が身に付いていないと感じられる今の状況では、自分の行動を後押ししてくれる、行動の原動力となる知識はなかった。

今の場で何か得たものはあったのか?
毎回外から得た知識を内に持ってくるだけなのだから内にいる必要はあるのか?


いつも考えすぎて、焦りすぎて、急ぎすぎるのはあまり良くない事だとわかっているし、あまり急がないようにしていこうと気をつけてはいるのだが、ちょっとなんとかしないとな。